日本美術刀剣保存協会和歌山県支部

楽久我喜帖

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楽久我喜帖

初めての日本刀

< 今津 敦生 >

私と日本刀の出会いは古く、物心が付いた時に父親が打ち粉を打っていた姿が妙にかっこ良かったのを覚えています。
その当時の父親は羽振りがよかった頃で井上真改や五字忠吉を持っていたそうですが、その後全て手放したため、一振りも残っておらず、今となっては遠い昔話です。
自分で始めて日本刀を買ったのは四十歳の頃の事です。
当時居合いを始めて一年くらい経った時分で居合の先生が真剣を使って技を抜いているのに憧れ、自分も真剣が欲しいと思っていたのですが、地元に刀屋さんが無く大阪の刀屋さんは敷居が高く、まして日本刀を買うのには一〇〇万円以上はすると思っていたので高嶺の花です。
そんな折も折、たまたま友達と遊びに行った神戸元町の商店街で一軒の刀屋さんを見つけました。
その刀屋さんは元町商店街の神戸駅よりの外れに有る小さなお店で、入り口はドアが無く開放的な雰囲気です。
しかしお店に入るには勇気が要りました。
だいたい刀屋さんの雰囲気と言うのは、入り口のドアを開けた時、何人かお店にたむろする常連客が「じろ」と、こちらを見て「なんやこの素人」と、うっとうしそうな顔をするイメージが有り、なかなか入りづらいのですが、このお店を覗いた所他にお客さんが居なかったので勇気を振り絞ってお店に入りました。
お店の中は十坪くらいの広さで、両側に作り付けの陳列ケース、フロアの真ん中には移動式の陳列ケースが有ってそれぞれ刀剣や小道具が整然とディスプレイされています。
お店の人は一人で頭の禿げた六十歳くらいの人の良さそうな方でした。
取り敢えず一声かけて陳列された刀剣をガラス越しに見ていったのですが、価格は思っていたよりも安く、私にでも購入できそうな希望が湧いてきました。
その中で一振り目に留まった刀が貴重刀剣(無銘会津兼友、長さ七十四.五糎、反り一・七糎、白鞘入り)で、鞘にも墨で無銘会津兼友と書かれた価格三十八万円、居合いに使うのには長さと言い反りと言い最適です。
早速お店の方にお願いし刀を手にとってみたのですが、その当時は地鉄や刃文なんかは分かる訳も無く、ただやけに冷たく切れそうな感じがしたのと、やや先調子のバランスだなと感じたのを覚えています。
お店の人は元禄頃に作られた刀でハバキも金着せ二重が付いた好いものだという事を含め色々と素人の私に親切に説明してくれ、とうとう購入の決心をしました。
しかとそんな大金を持ち歩いている訳も無く一週間後に再度来るので取り置きしてもらう事の承諾を得て、その日は帰宅です。
それから一週間後、工面した現金三十八万円を持ってお店を再訪しました。
この日は居合の先生と兄弟子三人が一緒なので勇気百倍です。
お店に入ると店主が覚えてくれていたみたいで笑顔で迎えてくれました。
早速取り置きしてもらっていた会津兼友を出してもらい居合の先生に見てもらいました。
先生の感想は茎が短い事から重量の割りには重たく感じると言うことと、刃中に尖り刃が混じっているので美濃伝の刀ではないかと言う事を言っておられました。
それから順に兄弟子が見た後に価格交渉を開始し、交渉の結果、尾張透かしの鐔と桐箱に入ったお手入れセットを含めて三十五万円に成りました。
幸せいっぱいの気分で帰路に着き、帰宅してからは家族に自慢したのを覚えています。
その後この会津兼友は居合用に拵を作り居合の形に使っておりましたが、私に取っては記念すべき刀なので、現在は研ぎをかけて白鞘で保管中です。
なお、会津兼友についての記述を参考文献より抜粋しましたので紹介します。
【会津兼友】時代・寛文、国・岩代(福島県)、本名鈴木半兵衛、近江大掾入道兼定門人、切銘「兼信」「兼常」と切る。
作柄は互の目乱、直刃。業物。
同銘の三代兼友は享保・宝暦、四代目兼友は宝暦・天明・五代兼友は寛政・天保、六代兼友は文政・天保、七代兼友は嘉永、八代兼友は明治へと続いている。

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