日本美術刀剣保存協会和歌山県支部

楽久我喜帖

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楽久我喜帖

我が愛刀

< 岩西 慶治 >

私と日本刀の出会いについてご紹介します。
私が高校を卒業すると同時に就職したのは、大阪心斎橋に店を構える㈱本福寿司という文字通りお寿司屋さんですが、創業は文政十二年と言いますから今から凡そ二百年近く続いている老舗です。
当店は、大阪名物の箱寿司や節分の丸かぶり巻寿司の草分けとして全国的にも広く知られており、当主である五代目今井敬子様も九十歳に垂んとするご高齢にも拘らず、今なお現役で陣頭指揮を採られております。
爾来、四十年近く変わらぬご親交を戴いておりますが、いつまでもお元気で頑張って頂きたいと願うと同時に、当時の修行時代を懐かしんだりしています。
前置きが長くなりましたが、私が始めて日本刀を目のあたりにしたのは、この本福寿司での修行中の事でした。
高麗橋の鴻池屋敷後で大阪美術倶楽部主催の交換会があり、商用でその会場へ伺った折、書画・陶磁器等数々の古美術品の中に混じって、偶々日本刀が競りに掛けられている光景に出くわしたのです。
当時は、映画やテレビでしか見ることの出来なかった本物の日本刀、その時の感動を今風に表現するならば、まさにカルチャー・ショックそのものだったと記憶しています。
数年後、家庭の事情により実家に舞い戻る羽目になる訳ですが、再就職先として選んだのが住友金属和歌山工場でした。
入社と同時に配属されたのは業務部材料課検収班という部署で、納入業者が持ち込む古鉄を等級ごとに検品したり、当該業者にその等級毎の分別理由等を十分理解して貰う為の説明を必要とする大変細かい神経の使う仕事だったと記憶しています。
そうした仕事を通じて知り合った方々の中に、刀剣に非常に詳しいN氏という方がおられ、日本刀の歴史や鐔に冠する基礎的な知識を随分教えて頂いたものです。
そのN氏も既に故人となられておりますが、当時縁あってその方から無理矢理譲り受けた國宗二字銘の太刀《別掲押型》には自分が始めて入手した刀という深い思い入れもあり、今日に至るも本表題の通り「我が愛刀」として、事ある毎に眺めては故人を偲んだりしています。
特に仕事で疲れて帰ったとき、気持ちの落ち着かない時などは、この太刀を手入れしたり鑑賞したりしますと何故か落ち着きを取り戻し、明日への意欲が湧いてくるのです。
又、私のもう一つの刀剣の楽しみとして、『刀剣美術』誌の誌上鑑定に填っています。
毎月同誌が送られて来ますと、数日間は昼夜を問わず参考書片手に悪戦苦闘の日々が続く訳ですが、次号の正解者欄に自分の名前を見つけた時には、今迄の努力がやっと報われたという安堵感と同時に喜ぶがしみぢみ込み上げて来るのです。
こうした誌上鑑定に挑戦し続け、正解回数も度重なってまいりますと、ある程度自信も付き、自分で言うのも気恥ずかしいのですが、少しは刀剣に対する鑑定眼も上向いてきたのではなかろうかと自負している昨今です。
支部会員の皆様方の中で、誌上鑑定への入札未経験の方は勇気を持って是非挑戦していただくことをお勧めします。
私も今後、老骨に鞭を打ちつつ微力ながら和歌山県支部の発展に努力してまいりますので、今後ともご愛顧賜りますよう宜しくお願いします。
なお、今回ご紹介しました国宗の小太刀ですが、一寸五分程の擦り上げがあり、長さが二尺強・反り七部五厘と長さの割りに反りが深く、その体配から鎌倉時代の太刀を彷彿させる雰囲気がありますが、幾分先反りがあることから矢張り時代的には室町初期(応永)頃でなかろうかと考えています。
刀工名鑑等で「国宗」を捜してみますと、同名の刀工が数十人いる中で、時代・銘振り共に該当しそうな刀工が越中(現富山県)宇多派に数人いる事が判りました。
それ以来、私はこの一本を「宇多国宗」と信じ、大切に所持しております。

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