日本美術刀剣保存協会和歌山県支部

楽久我喜帖

日本美術刀剣保存協会|和歌山|紀州|

楽久我喜帖

楽久我喜帖

刀剣雑感

< 南方 弘 >

僕と刀剣との出会いは、五年程前に遡ります。
当和歌山県支部が主催した紀の国会館(現アバローム紀の国)での刀剣展覧会が切っ掛けとなりました。
僕は車の運転が出来ないので、会場まで家内に車で送って貰いました。
その時、一緒に見せて貰おうと家内を誘ったのですが、即座に断られました。
視るのが怖いというか、どうも女性は刀剣に馴染まないようです。
著名な評論家に小林秀雄という方がおられましたが、この方も同じようなことを言っておりまして、奥さんに嫌われると困るから刀剣そのものは諦めて、もっぱら鐔などの小物類の蒐集で辛抱したというのです。
会場に用意してくれていた県支部への入会申込書に早速書き入れて、入会を願い出ました。
これで憧れの刀剣が身近なものになると思って返書を待っておりましたが、それがなかなか届きません。
承諾書を頂いたのが、申し込んでから相当の期間が経った頃でした。
今にして思えば、これも入会審査をしっかりやって、会の健全な運営の妨げとなるような不心得者は入会させないという、適切な判断があってのことと心得ている次第です。
先の大戦が終わったのが昭和二十年八月で、その時僕は小学校(当時は国民学校と呼称)の二年生でした。
父も叔父たちも皆、出征していました。
和歌山市の市街地は空襲で焼き払われ、一面が焼野原と化していました。
国宝だった和歌山城の天守閣が焼け落ちたのも、その時のことです。
戦いに敗れるというのは惨めなもので、子供心にも悔しい思いをしたことを覚えています。
その時を境にして何もかもが変わりました。
占領軍総司令部(いわゆるGHQ)によって二本弱体化政策が打ち出され、この国を骨抜きにして二度と立ち直れないようにしようとしました。
日本軍の勇戦に懲りたということもあって、とにかく日本民族の牙を抜いてしまえという訳です。
例えば、その一環として一切の武道が禁止されました。
剣道や柔道は罷りならぬというのです。
帯刀の侍が出てくる時代劇も、チャンバラ映画もご法度です。
勿論、刀剣類の所持も駄目だということになります。
刀剣は紛れもない武器だと決め付けて、没収しようとした。
こうした刀剣に対する弾圧に対し、当時の刀剣関係者(本間薫山・佐藤寒山の両山を始めとする蒼々たる先生方)が強く反発、日本の刀剣類は単なる武器の域を出た優れた美術品である、累代の刀剣の匠たちが心血を注いで築き上げてきた伝統美術の極到とも言うべきものであり、散逸を防ぎ、保存・継承していくことこそが大事だと主張して危うく難を逃れたと聞きます。
その時の駆け引きの経緯が、日本美術刀剣保存協会というこの会の名称に色濃く反映しているように思います。
この会の創設に携わった多くの先達の並々ならぬ苦心のほどが偲ばれます。
ひょんな事が切っ掛けで刀剣会の存在を知り、運良く入会させていただいて以来、支部長を始め多くの会員の皆様と交流させて頂き、多くの刀剣類に接することが出来ました。
日本の刀剣類は、「刀は武士の魂」などと称されるだけあって、他に比肩するものがない孤高の凄さ、輝きを持つものであることが、心底から実感できるようになってきました。
刀剣そのものは勿論のこと、拵や刀装具に至るまで、それぞれが人を惹きつけずにはおかない大きな魅力を内に秘めて迫ってくるので、勢い厳粛な気持にならざるを得なくなるのです。
「武士の魂」を所望する侍たちと、その作製に職人魂をもって応える匠たちとの間には、当然のこと乍ら緊張感が漲り、軽々しい言動を許さない厳粛な空気が漂っていたに違いありません。
仕事の出来栄えに愚直なまでにこだわり、金銭は二の次と割り切る誇り高い職人魂。
それが、近寄り難いまでの威厳を備え、冒し難いまでの気品に満ちた日本刀剣のよって来たる源泉だと思います。
この種の職人魂と、それに支えられた職人芸がいかんなく発揮されるのは、何も日本刀の世界に限った事ではありません。
日本刀はその最高峰であるには違いないのですが、これに匹敵するくらいの高峰は他にも幾らでもあります。
意地と誇りで物作りに励み、出来上がった作品なり製品は自分の分身と心得る職人やその集団は、あちこちに散在しています。
様々な分野で研ぎすまされ、練り上げられてきた熟練の技は、他国にあまり例を見ない誇るべき日本のお家芸であり、伝統文化だと言えると思います。
それが集積し熟成され、はたまた新技術と融合するなどにより、今や「メイド・イン・ジャパン」は紛れもない世界のブランドになりました。
技術立国ニッポン、質の日本、量の中国などと呼ばれる所以であります。
最後に一言。
言うまでもなく日本刀作りは匠の技が物を言うローテクの最たるものです。
高度な機械に頼るハイテクでは絶対に作れないと断言してよいと思います。
本当の世界は、その意味でも物質文化とは一線を画した精神文化の世界に属していると言えるのではないでしょうか。
戦敗後のあの占領政策によって、それまでの伝統文化を支えていた精神のあり方にまで難癖をつけて歪められ、その後遺症が今も続いています。
昨今の世相を見ていると、人心がバラバラになって一体感が薄れてきた上に、心の荒んだ人が増えてきたような気がします。
世代交代が進むにつれて、昔からの美風を守り通してきた年配の人が減り、あの政策の影響を受けた若い人が増えてきたために、一段と酷くなったと言えるかも知れません。
精神の劣化、心の衰退が目立つ世間の風潮を見て、民族の経ち枯れが始まったと嘆く人もいるくらいです。
刀剣会は、刀剣類を鑑賞する同好の士の集まりと同時に、脈々として受け継がれてきた日本の精神文化のささやかな守り手でもあるとの自負をもって運営していくことも意義深いことと思うのですが、如何なものでしょうか。

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