楽久我喜帖
古刀との出会い
< 保田 幸雄 >
私は当年八十歳になります。
私と刀の出会いはと申しますと、随分古い話になります。
私の父はモダンな人だったこともあり、あまり刀剣には興味がなかったようですが、祖父は当家の四十代目で武士魂の逞しい人でした。
今時は流行りませんが、士族の格式にこだわる人で、私も幼い頃、武士の心得として切腹の作法まで教授されたものです。
その祖父が打ち粉で刀の手入れをしていたのを幼い頃に見たのですが、それが私にとって、最初の刀との出会いかと思います。
その後、私も年を経て様々な刀に出会いましたが、中でも無銘伝則重は私が出会った中でも最高の刀でした。
今日はこの刀について少し書こうと思います。
私より三代前に嫁いでいった先に保田の家紋・松皮菱入りの箱があり、中に大小の刀が入っておりました。
その刀が則重であり、それが保田家に戻ってきたのです。
「古今銘尽」等、江戸期の刀剣書においては、則重を正宗十哲の一人、としてあげておりますが、太刀や短刀の姿形、及び制作年紀に「正和」「元応」が見られるところから、室町時代の刀剣書に記されている新藤五国光門下説を認めるが最も符号にあい、故に正宗とは相弟子という立場をとると見るのが妥当であるとおもわれます。
則重の作風は相州上工中正宗に近似していますが、則重は正宗以上に沸の変化を露に表現したものが多く、鍛えは一段と大規模に肌立ち、いわゆる「松皮肌」と称される同工特有の肌合いを見せるところに特徴があると伺います。
この刀は、長さ六九・六糎、反り二・〇糎、元幅二・八糎、先幅一・八五糎、鋒長さ三・〇、茎長さ一八・四糎、茎反り僅か、やや細身にして中鋒の体配に鍛えは板目に杢、流れ肌が交じり、大模様の肌合いを示して肌立ち、地沸を厚く敷いて、太い地景が良く入り松皮肌の状を呈し、かねに黒みがあってやや濁り感があり、刃文は直刃調に僅かに浅くのたれて小互の目が交じり、匂い深く、沸が厚く付き、ほつれ、金筋、砂流し等がかかる。
また、湯走り状の二重刃を交えております。
私の手元に何振りかありますが、今のところこの無銘伝則重に勝る刀はありません。
これから先は良作物について、支部の皆々様と共に見識を深めていけたら良いと考えております。
是非お持ちの方にはその逸品を拝見させて頂きたく、切にお願い致します。
《参考》
最後に本間薫山・佐藤寒山監修の「新版日本刀講座」の中で、則重について端的に表現されている部分を抜粋してご紹介させて頂きます。
*郷則重・義弘の両工がほとんど時を同じくし、国を同じくして中越の片田舎の地に生まれ、ついに空前絶後ともいうべきあっぱれ無比の名剣を打ち出した。
深更燈火にかざして郷義弘の名刀に対する時、則重の懐剣を抜き放って視つめる時、自然に夢のような明鏡止水の心境に到達しないわけにいかない。
この二工は実に鎌倉時代の末ごろ北天に輝く明星であった。
