楽久我喜帖
研ぎ師と成り
< 川上 安一 >
私は昭和四十三年から刀匠であった父敏夫(刀工銘・清光)の指導の下、刀剣研ぎ師としての修行を積んできました。
その頃といえば現代刀の制作依頼も大変少ない時代、寧ろ父の研ぎの腕を買われての受注の方が順調だった様に思います。
暫くの間、父が偶に刀を造るといえば手伝わされ、肝心の研ぎとなると中々砥石さえ当てさせて貰えず、刃艶・地艶作りなど雑用に追われる毎日でした。
月日も経ち、やっと研ぎをさせて貰えるところ迄にはなりましたが、最初の内は焼きのない刀剣で練習、更に経験を重ねていくうちにやっとお客様の刀を研がせて貰える迄になっていました。
勿論、当分の間は師の手助けを仰ぎ乍らの作業でしたが、特に当時は次から次へと仕事が来るので大変忙しい思いをしたものです。
しかし、修行時代に研ぎ上げた刀を改めて見直す機会があり、「何と酷い仕事をしてお客様に渡したものか・・・」と、反省の念に駆られるような刀も幾口かあります。
自分で云うのもおこがましいですが、研ぎ師は神経を磨り減らす仕事だとつくづく思うと同時に、疵を出せば値打ちを下げるのでは・・・等々、大変悩む事の多い職業です。
過去、年間にして数十口の研ぎをこなしてきましたが、一口ゝに作品それぞれの違った顔があり、思い通りに研ぎ上がった時の喜びや感動はまさに研ぎ師冥利に尽きます。
私の今まで手掛けた中の一口に、「来国光」短刀があります。
処々光っている程度の錆身で、研ぎ減りはなし、地鉄は素晴らしく綺麗、刃は明るく茎の錆色も良く、朽込みなし、銘もよい・・・、どう鑑ても来国光(鎌倉期)とは思えず、寧ろ江戸初期位にしかみえない短刀でした。
或いは偽物ではないかと疑いつつ研ぎ上げたのですが、何とも言えない仕上がりとなり、後に重要刀剣に合格したとの事、私としては一生忘れられない一口となりました。
特に、都会の一流研ぎ師の先生方でしたら名刀ばかり研いでいるので、この様な感情など湧いてこないかも知れませんが、私にとりましては思い出の一口となっています。
昭和五十三年に(財)日・刀・保主催の研磨コンクールに初入選、以来平成四年迄の間、五回入選させて頂いています。
この四十年間、研ぎ一筋で歩んで来ましたが、果たして皆様方に充分満足して頂ける様な仕事が出来てきたか否かの一抹の不安もありますが、先人刀匠達が誠心誠意鍛え上げた刀剣一口ゝに研ぎ師としての真心を込め、光をあてて上げられれば何よりの供養ではないかと思って研がさせて頂いております。
今では朝六時に起床して近くの菩提寺へ墓参りに行き、綺麗に掃除をして三カ所でお経を唱え、帰ってくるといった生活をかれこれ三年続けていますが、家族安泰・仕事順調の為、動ける限り続けていきたいと思っています。
還暦を迎え、年々根気が無くなっていく様な気もしますが、親から授かった体・仕事、研ぎ師を天性の仕事として体力の続く限りやり遂げなくてはならないのです。
幸い、長男も後継者として現在東京吉川永一先生の下で九年目の修行に励んでいます。
いずれ帰ってくるとの事ですから、親子で研げる日を楽しみにして、今後共頑張っていきたいと思います。
