楽久我喜帖
郷土刀の思い出
< 松下 博治 >
家に赤錆の刀と脇差の二振りがあり、警察の防犯課に届けると登録証が付き所持出来ると、人に聞き登録証を付けました。二十三歳頃で刀剣気違いになった始まりです。
当時は刀の話をするだけで世間では組関係の人と思われ勝ちの頃でした。
以前、陸上自衛隊機甲科(戦車)大隊でM四戦車、M二十四戦車の戦車乗りで富士演習場を始め、東海、中部、京阪神、北陸三県、等を安物の芸者のように飛び廻っておりました。
原隊は滋賀県今津町、第十戦車大隊・第一中隊に所属し頑張っていました。
除隊後、戦車の特殊免許が重機(ブルドーザー・ユンボ・バックホー)が出来たので重機のオペレーターになり、和歌山を始め関西、中部、北陸、長野県を廻り国鉄、国道、高速等の工事をやりました。
日本刀が好きで、解りもしないのに時間があれば刀屋、骨董屋を廻り安い錆刀、鐔等を買っては自己満足をしておりました。(殆ど偽物、なまくら、刃切れ、帽子抜け)。
師匠もなく、剣友もなく、独歩でした。
働いていた森田組の専務が刀好きの森田健二氏(故人、前和歌山支部長)で赤錆を見て貰う事もありましたが、只、笑うばかりでした。笑った意味も何年か後に判りました。
昭和四十四年三月二十七日に結婚し新婚旅行に車で行くことになり、その日の夜に出発し行く先は中国地方、九州、四国を廻る予定で十日間の日程を組みました。
私の腹は名所、古跡と刀屋、骨董屋が目的で妻には言ってません。
位列が低くても良いから正真の郷土刀を持ってみたいと何時も思っていました。
車は大阪、兵庫、岡山を過ぎ広島に着き平和公園、宮島を見、山口県の岩国城、錦帯橋を見てから更に西に走り下関から関門トンネルを抜け福岡、佐賀県に入り佐賀市で泊まる。
車で走りながら道端の看板を探し刀剣屋、骨董屋があれば止まって店に入るの繰り返しで、横に座っている妻は不愉快であったろう。あなたは他に趣味はないのかと文句をいうこと七・八度。車は長崎県に入り大村市で大村城の桜が見事であったのが今でも頭の中に残っている。諫早市を抜け長崎市に入り名所、古跡を見学する。諏訪大社前に骨董屋有り、店に入る。中は狭く二つの陳列があり、一方は皿壺骨董品が少々、片方の陳列には鐔、縁頭、目貫、小柄、笄が各二、三点あるのみ、七十過ぎの老夫婦が居て、私が刀の小道具を見ているで、主人が刀剣に興味があるのかと聞くから『はい』と返事すると二階に刀があるから見せてあげるからと言って、主人の後に二人がついて行く。
二階に登るなり主人が脇差を取り出してこれを見よと私の手に渡してくれた。
以前刀剣の取り扱い方の礼儀作法を教わっていたので受取るなり正座し刀に一礼して刀身を抜きました。
赤錆で地も刃も見えず鞘に納め一礼して返しました。すると主人は皆様にはここの場所で帰って貰っています。貴方は作法を心得ているから見せてやると奥へ通してくれた。
お茶をご馳走になり色々と雑談をした。
刀剣数三百五十振り、高さ八尺の箪笥が十棹位あり引き出しの中が全部刀で埋まっていた。鐔箱三百五十位、小道具箱五百箱位で中には全部品物が入っていた。
槍、薙刀二十本位、火縄銃も七丁位、品物の多さに腰が抜けそうであった。
今は故人である八木治郎アナウンサーも一週間程前に店に見えて薙刀と火縄銃を買っていったそうだ。
長崎国体があるので売る為に集めたそうだ。
色々と刀を見せて貰ったが何が何やら判らなくなり思い切って主人に尋ねた。
私達夫婦は和歌山から新婚旅行に来ている。
紀州の郷土刀を探しているので位列の低い安物はないかと言うと丁度大阪石堂の刀があるとのこと、早速見せて貰う。
拵え付きで竜の一作物で鞘は朱色、中身は河内守源康永、二尺三寸少し区送りで目釘穴二個五の目丁字でキズもなく良い刀である。すぐ気に入る。
康永は紀州出身である。
主人はこれ位の刀は偽名は少ないとのこと、十五万円と言う。
それに拵え付きの脇差、末古刀豊後住盛清一尺六寸位薄錆と二振、和歌山に帰るための金もかかるからと言って十四万で売って頂いた。当時は大金である。
同級生が市役所の職員で給料が二万五千円前後だった様に思う、私は重機乗りで月給が八万五千円であり当時の給料の一倍半以上の刀である。(主人の名前は桑田又七氏で今も名刺が残っている。)
うれしくて旅の疲れもとれてしまい、遠い所迄来た甲斐があった。
車のハンドルも軽く思えた。
その後、九州・四国を巡って小松島からフェリーで和歌山港に着き帰宅、十日間の楽しい旅であった。(妻の気持は判らないが。)
旅行から帰って数日後、森田専務に康永を見てもらう。刀は正真物かも知れぬ。
一度研ぎをかけたらと言う事になり森田専務に紹介して貰い福永研師先生宅に相談に行きました。
故人福永先生が言うには刀の出来は良く五の目丁字で石堂系の刀だろう、しかし銘が弱すぎる。少し研究の余地があります。
預かる訳にいかないのでどうかお持ち帰りをと言われ本当にがっかり、森田専務も首をかしげながら福永先生がお持ち帰りという刀は十中八九偽物との事、又がっかり。
今も康永の押型が残っているが銘が弱い、後入れ銘だろう。
もう一振の脇差豊後住盛清も砥石をかけると中程に刃切れが一つ出てきた。
全く刀剣は難しい。
これ以後大名の持ち物、足軽では持てぬと何時も心に決めています。
郷土刀一振り持ったつもりが夢と消え去った。今から三十九年前の話です。
(後記)
日本刀は誠に奥の深いものと思います。刀の姿、反り、重ね、鋒の大・中・小、地肌、刃紋、刃の出来・不出来、茎の色、ヤスリ目、茎尻の形態、銘の良し悪し、又新々刀のコピーその他諸々刀剣に関しては、驕らず、知ったかぶりをせず、謙虚に学ぶの三つをこころがけて勉強をしてきたつもりですが、まだまだ私には奥が深すぎる。
これからも初心を忘れず日本刀の勉強に残り少ない余生を送るつもりです。
